SUN RISE MOON

太陽(人生の目的)を走りぬけ!月(ありのまま)の自分を再発見、結び合わせて宇宙(ソラ)を生きる

「占い」で未来を当てようとしちゃ、ダメなわけ?!:トートタロットの答えが「神」対応すぎた!

昨日は「無農薬国産レモン」の話をして、今日は「占い」の話題か?!

 

いいんです。。無秩序と混沌とのなかに、このブログの「真理」が潜んでいるんです!

 

今朝久しぶりに、ちょっと違う視点で「トート・タロット」に質問してみたら、

 

「ホイ!来た!」みたいな、神対応すぎたので感動でした。

 

タロット。。。。半っぱねええええ!ヽ(=´▽`=)ノ

 

最近「星詠み」に傾倒してたんで、久々に「トート・タロット」と「ルノルマンカード」たちに「俺らを舐めちゃあかんぜよ(笑)」と言われた気分。

 

 

f:id:kana-tarot:20170530095826j:plain

 

全てのエネルギーを終結して「実る」

 

いきなり「田んぼ」の写真を貼ったのは、自分が行き過ぎることへの戒め。

 

基本「極道」なので、なにかにハマると「そればっかり」やるんだけど、自然というのは「調和」と「バランス」であることを教えてくれるから。

 

タロットにはタロットの、

占星術には占星術の、

 

それぞれの良さがあって、また食べ物とか環境を整えること、それも必要なのだ。

 

こころと身体と魂が「調和」してこそ、人は輝ける。

 

太陽という「火」と、花粉や虫を運び、熱や湿気を循環させる「風」があって、根を張らせ、ミネラルという栄養を与える「土」があり、その全てを保持し、行き渡らせ、生命を維持するために必要な「水」その4大元素全てが。。。

多すぎも、少な過ぎもないときに「種が芽吹き、命は花開き、実を成らせる」

 

その自然の一部である私たちも等しく「自然界の法則=宇宙の法則」に沿って、宇宙の動きを、エネルギーを、自分の星を通して感じてる。

 

でも、ホロスコープがそれぞれ違うから「感じ方」が違う。

「感じ方」が違うから、世界の「見え方」が違う。

世界の「見え方」が違うから「考え方」が違う。

「考え方」が違うから「行動の仕方」が違う。

 

結果的に「人生の具現化の仕方」が違うのだ・・・・ヽ(=´▽`=)ノ

何をび合わせることで実になるかという、実る「結果」が違うんだ!

 

だからこそ、人様のふりばかりみて「わがふり」直そうとしてもムリなわけ。

 

リンゴの木に柿はならない。。。あ、接ぎ木をして「違う実」を作る農法もあるけど。。。それって「夫」とかで自己実現を図ろうって女性みたいだね。(笑)

 

さらにいうと、結果のすべてを環境とか他人様のせいにして、そっちを正そうとか、直そうとか、説得しようとする方向性。。。。めちゃくちゃエネルギーのムダです〜!

 

そんなことより「自分の中のすべて」を総動員すれば「実はなる」のだ!

 

見つめるのは「自分の今現在のありかた」「自分の過去のありかた」のみ。

 

そう「占い」で「未来は当たらない」

 

もし当たったとしたら。。。

無意識に「同じパターン」を繰り返してること。。。

過去〜現在〜未来予測がたてられたということだから。

 

それは時として望ましいことであり。。。または成長を阻害してる要因かもしれない。

 

でも、それすらもあんまり考えなくてもいいのかも。

 

本当にそれが「真の成長」を阻む無駄な要因なら、その時が来たら「刈り取られる」「間引かれる」から。(・_・;)

 

未来は決まっているけど決定してない

 

で、久しぶりに「タロットカード」と「ルノルマンカード」に聞いた質問というと

 

トートタロットはわたしにとってどんな存在?

 

「女帝」「ソードのナイト」「ディスクの6」

 

f:id:kana-tarot:20170530105805j:plain

 

f:id:kana-tarot:20170530110811j:plain

 

f:id:kana-tarot:20170530111448j:plain

 

「女帝」だから「創造性」「美」「生み出す」感じだ。

「ソードのナイト」は目的意識を持って直進してる、問題の核心に迫る感じ。

「ディスクの6」は具現化のエネルギーとしては、とても調和した数字。

 そして「牡牛座の月」。。。確かに自分の「感覚」を大事に読んでいる気はする。

なぜって「タロットカード」にはイメージからインスピレーションをもらってるから。

その時の直感で「カードの色」が気になったり「占星術の象徴(牡牛座の月とか)」に目が行ったり、人物の「動き」など絵が表すものが気になったり。。

読み方にルールがない。。。。でも自分の心の核に触れる何かが「答え」なのだ。

 

②ルノルマンカードはわたしにとってどんな存在?

 

「カップのプリンセス」「ソードのクイーン」「ソードの6」

 

f:id:kana-tarot:20170530120746j:plain

 

f:id:kana-tarot:20170530120955j:plain

 

f:id:kana-tarot:20170530121129j:plain

 

「カップのプリンセス」は「ルノルマンカード」のイメージにピッタリだ。元々ゲームカードとして完成?したツールだから「おもちゃ」や「遊び」の気楽さ。

ふわふわと宙に浮かぶ「カップのプリンセス」のように無邪気に「言葉遊び」できる。

 

lrt.hateblo.jp

 

だけど、パワーはなめちゃいけない。「ソードのクイーン」のようにツッコミが鋭いから「真理」を見通してくる。「カードの絵柄」に「意味」が固定されてるだけに「タロット」のように「都合のイイ風」に解釈できないから図星つかれてキツイ時も。

 

 

lrt.hateblo.jp

 

タロットカードの様にアート的深遠なる複雑さはなくて、むしろ表面的に現れてること、現象的なことを、イメージじゃなく「言葉」で表すだけに、状況を現実的に理性的に、総合分析する「ソードの6」的なさっぱりとした能力がある。 

 

クライアントさんにも、深層心理をえぐるような「トート・タロット」より、絵柄が可愛くて、親しみがモテる「ルノルマンカード」は対面鑑定で人気だったかも。

 

占星術はわたしにとってどんな存在?

 

「カップの6」「ディスクの8」「カップの8」

 

f:id:kana-tarot:20170530122358j:plain

 

f:id:kana-tarot:20170530123306j:plain

 

f:id:kana-tarot:20170530123420j:plain

 

 

「カップの6」を見た時「そうそう”Pleasure(喜び)”だよ〜楽しいもん♫」とゴキゲンだった。人間の心理がどうなっていて、どう働くかを見つめるのは「蠍座の水星」が大好きなテーマなのだ。(小さい頃から推理小説マニア)

 

でも「ディスクの8」をめくって「あれ?」と思って。。。

「カップの8」を引いた時。。。「おいおいおいおーい!」と感じた。

 

この場合の「8」はやり過ぎ、行き過ぎ、またはコントロールしてる、ということ。

 

「ディスクの8」は「乙女座太陽」

「分析しすぎ」「慎重すぎ」「心配しすぎ」

 

「カップの8」は「魚座土星」だから、

「サービス過剰」「他人にのめり込み過ぎ」「妄想気味」ということになっちゃう。

 

それで気がついたのが、合気道の先輩と昨日ゴハンを食べながら話していた時、

「あんたって、分析するねえ」と言われたこと。

 

その時「あ!」と思ったのが、最近ホロスコープを読みながら話す機会が多すぎて、つい「今のこの発言は山羊座の火星っぽい」とか「この行動パターンは水瓶の月かな」なんて”無意識”に考えながら人と会話する癖がついていたのだ。

 

ホロスコープを前にしながら、セッションとして、または人に質問されて答えるならともなく、なんの関係もない普通の会話の時まで、そんな癖を通しながら会話してたら、ほんとうの意味で相手に向き合ってない「対話」してないってことになる。。。

 

って、めっちゃ失礼なやつやんけ!!!!ガ━━(;゚Д゚)━━ン!!

 

占星術ブームで、トートタロットが妬いてんのかしら?」と思ったんだけど、

 

「感情の取り扱いが苦手で、暴走する本能が怖くて、傷つけたり傷つくのが怖い、から表向きはスマートに感情を伏せ、相手の好みに自分を調整したい、あんた好みでしょ?うふふふ。。( ̄ー ̄)ニヤリ」

 

ってツッコミされたみたいで、ショックでした。。。(T_T)

 

最初は気が付かなかったのだけど、記事を書きながら

「わたしにとってどんな存在?」と聞いて、①と②には「人物カード」が現れていたけれど③は違ったということ。。。

 

それは恐らく、わたしにとって「カード」は対話の相手だから。

 

クライアントさんを前にして、質問を受けた時に

「この人、こういうことで悩んでるんだけど、どうよ?」って聞く相手。

 

カードたちは「トートさん」「ルノルマンさん」と話しかける友達みたいな存在。

 

それは「ハイヤーセルフ」とか言う「存在」なのかもしれないけど、とにかく「カードたち」はメッセージを届けてくれる「存在」として認識しているのに対して「ホロスコープ」は先に「実在の人物」がいて、その説明書?みたいなものだから「存在そのもの」ではないのだ。

 

トートタロットが言いたかったのは「設計図を読みすぎて疲れないようにね〜」ってことだったのかもしれない。だって、人であるからして神の設計図をどうやって「完全」に読み解けるものか。。。。ムリでしょ?宇宙の設計を人が読むなんて。(笑)

 

「あったこともない誰か」のホロスコープっていうのは、その人の過去のストーリーでも提示されてない限り「推測」にしか過ぎないから、あやふやなものになる。

 

「相手がどういう人か知ろう」という「好奇心」「親切心」あるいは「猜疑心」でホロスコープを相手との対話なしに、のめり込みすぎることは危険でもある。

 

出来るのは相手との対話を通して、彼らの過去の「点」と「点」をつなぎあわせて「線」として相互に認識すること。

 

子供の頃「オリエンテーリング」って遊びをやったけど、ホロスコープという「人生マップ」を見ながら「あ、このチェックポイントは通過した」「あ、いまこのチェックポイントに向かってる」って、チェックするのに似てるかも。(*´∀`*)

 

で、自分の人生と照らしあわせて「どうも同じチェックポイントを探しながら付近をぐるぐる回ってるのに、到達してないみたいだ。。。」というポイントが見つかったら「タロットカード」の出番かも。うん。。。道に迷った時の方位磁石みたいな?

 

占星術」がすごいのは「自分がどんなに特別な存在か」を感動できる点。

「カード」がステキなのは「自分がどうやって壁に頭をぶつけてるか」に気づく点。

 

マップとコンパスをもって「創造の旅」に出る

 

それを総合すると占星術ホロスコープ)」は、

 

人生というオリジナルデザインのどこを描ききれていないのか、これからどんな風に描いて行きたいと(無意識に)思ってるのか、いま重点的に描いているところはどこなのか、いままで描き終えたところはどこなのか?

 

「俯瞰的」に見つめるための設計図みたいなもので、

 

「タロットカード」などは、

 

逆に「どうして思ったとおりに描けない」のかを気づかせてくれるもの。

 

そう、他人の人生は自分の人生上でつくり上げることは出来ない。

それは「ホロスコープ」を見ると痛いほどわかる。。材料も図面もないんだってこと。

 

だけど、自分の人生をどのように、色付けして、どんな風に形作っていくか。。。その「創造性」はわたしたちが一任されている。。。。設計図は図面にすぎないのだ。

 

どんな「創造物」をこの3次元に作り出すかは。。。。わたしたちが現場監督だから!

 

「未来を当てる」「未来に導く」というキャッチフレーズが「占い業界」では人気らしいけど、そこに本当の意味での「成長」「成功」「自己実現はやってこないから、一時的に成功した気分になったとしても「過去の自分が思う成功」だから、また不満や不安になって、占い師依存がはじまっちゃうんだよ〜ってことで今日は終わり♫

 

今の占い界って 「当てる」 「導く」 をキャッチコピーに、 「自分の頭で考えることが苦手な人を占いに依存させること」で売上をたてている側面が強い。 僕は業界のこの構図に気付いたとき、「なんじゃこりゃ」と思った。 同時に「こんな流れには絶対のらない」と思った。 だから、あえてその逆を走った。

「占いに依存している人が多すぎる。占いで未来など、当たるはずがない。これからの占いの定義を変えるべき」by伊泉龍一 - 中川龍のブログ

 

占い本を沢山よんで「売れてる占い師」研究をしてる「中川さん」の言葉だけに、超納得した!