人生もブログテーマも「流転」「変革」「生まれ変わり」だけど「変わらない本質」もある?それが宿命ってやつ?
今日から「デイリーサビアン」として、サビアンシンボルをタイトルに付けるの、辞めました。昨日の魚座2度の「ハンターから隠れるリス」という度数の時に、記事を書きながら「ああ、自分の秘密や本音はブログに書きたくないかも」という気がしたのです。(と言いながら、ここで本音を言ってる素直なやつ)なぜか?
それは世間の世知辛い視線にさらされると凹むから〜笑
1度の「市場」のような取引の場では自分の取り分を守りながら、相手の動向も見守る用心深さが必要、というわけですね。取るか取られるか?!自分にとって、大切なモノが他の人に狙われたり、自分の人生そのものが他の人に飲み込まれたり、することもあるってことでしょうかねえ。。。人間社会に置き換えると。(*´ω`*)
そんな中、誰にも自分の大切なものの在処は見せない、用心深いリス。
人ってなぜか自分が「頑張った」「苦労した」「こだわった」ことほど、大切です。
悲恋が、ハッピーエンディングな恋よりも、強烈に心に残るのは「苦しい」から。人間って上手く出来てて、苦しかったり、辛かったりすると、ランナーズハイみたいな「苦痛を消すホルモン」が脳内で出てきちゃったりするから、余計にハマっちゃう。
と、思ったのも「ベルセルク」を読んだから。いや、それ言っちゃうとガッツの旅が終わっちゃうんですけどね〜あの人、どう考えても「アドレナリン中毒」ですよね〜。
傍目から見ると。。。。ってことです。(*´ω`*)
ベルセルクで凄く好きな場面の1つが8巻目で、グリフィスと鷹の団が戦勝を功労され、グリフィスは将軍と貴族の称号を、ガッツやキャスカ、コルカス、ジュドー、ピピンの「千人隊長」も同じく爵位を与える、と国王が明言する「祝いの席」の裏で、タロットの愚者のように袋一つだけ携えて、鷹の団を去ろうとするガッツに
「なんで死ぬような思いで、平民での俺らがここ迄成り上がったモンを古着でも捨てるように置いてっちまうのかよ。」
とコルカスが食って掛かった時に、ガッツが言ったセリフです。
「おれは地位とか階級なんてものには興味ねえ、俺が欲しいのはもっと別の。。自分で勝ち取る、何かだ。」
コダワリのない、平安な目で、そう言い切ったガッツに、コルカスが
「それがガキの戯言だってんだ、そんなもん簡単に見つかりゃしねーし、見つかっても成し遂げられるのは、ほんの一握りのやつだ。だから、みんな自分の力量と現実と折り合いつけてやってんだ!!!!」
「夢さえあればなんてのは、現実を見つめられない奴の逃げ口上だ」
「実現しない夢なんて、馬の糞以下だぜ!!!」
と、ブチ切れるのですが、
そんな、ガッツとコルカス言い合い(っていうか、コルカスが勝手に切れてんだけど、言いたいことはよく分かる)を静かに見てた、ジュドーが
「俺も結構器用なやつでさ、剣もナイフも上手くて、目端も利く」
「でも、どれも一番じゃなかった」
「だから、自分で一番になれないなら、一番になれそうな奴の下につくことにした」
と、グリフィスについてきた理由を言うのです。
「でも、男なんてのは、みんなどうかしてるのかもな、夢とか、勝ったの負けたのって、一生そういうの引きずっていくんだぜ」
っていう、ジュドーがめちゃ好きです。(作者の一番のお気に入りだったそうな)
ふつ~の女の子だったら「男って馬鹿よねえ」と終わるのでしょうが、わたしは「魂が男」なのか、何なのか。。。「うおおおお!コルカスの苛立ちも、ジュドーの憂いも、ガッツの言いたいことも、全部わかるぜー!」と心のなかで叫んでました。まあ「魂」は一処から来てるから。。。転生前の男の記憶かもね。(*´ω`*)
今日の太陽サビアンは「石炭化した木の幹の破片が砂漠の砂の上にある」という、魚座3度の度数ですが、これは「木」という、本来なら「土」の中で年月を経て形を亡くすはずのものが、「石炭」という永続的な物に変化して、それが年月を経て、表面化している状態。。。。これを見た時思いました。(*´ω`*)
たぶん「魂」がこの世に来る前に、決めてきた「宿命」ってやつは、現世での記憶の土の中に押し込められ、風化して、殆どの場合「自分で勝ち取る何か」なんて、曖昧で、人に自分の言葉で言い表せないものなんて、日々の生活に埋もれていく。。。
でも人はみんな、その記憶がいつまでもくすぶっているから「自分探し」なんて、生活に余裕のある現代では、こんなに流行ってるのかもしれません〜(*^_^*)
「ベルセルク」で実際に「宝物」を手にしてるのって、実は子供の頃の「キラキラ」を純粋に追い求めてきた、グリフィスだけなんですよね〜ガッツは、ずっと得られなかった「愛」「温もり」を(知らずに)求めて、ただ生き延びてきただけだし、他の人達はグリフィスの「キラキラ感」に光に引かれるように、ついてきただけ。
この漫画は「少年漫画」なので、グリフィスは仲間を犠牲にして、夢を果たすという構図になっていて、だからこそ、ガッツが悲劇の主人公?になってるんだけど、実際は「人がそれぞれの輝き」を放って、宿命を貫くことって、出来る。。。時代になっている気もします。わたしが、甘いだけかもしれないけれどね。
ただ、最近のわたしの周りには「グリフィス」級に夢を実現させている方達がたしかに現れていますし、友達は男も女も「ガッツ」級に「自分の何か」を支えるために、懸命に日々と戦う勇気ある人達だし、じゃなかったら見守り系「ジュドー」な人たちで。。。。真っ向から噛み付いてくる「コルカス」な人は居なくなりました。笑
私の中の「ガッツ魂」の足を引っ張っていたのが、実は私の中の「キャスカ」でしたが、ここ大事にしないと「ガッツ魂」がエゴで突っ走ってしまうし、一人で暴走して、みんなに迷惑をかける「ガキ」な「ガッツエゴ」を止められるのも、自分の中の「キャスカ」だったり、実はもっとも理解し、黙ってそれを見守る「ジュドー」なわけです。
「ガッツ」は「グリフィス」という形で表現される「光」があって、立っている。
これって全部、一人の人間の中に存在する要素なんだな、と思います。
女性性と男性性、慈愛と凶暴さ、高尚さと低俗さ、不屈の精神と諦観。
突き抜けた高次の自我と甘くて、弱くて、怖がりで、ちっぽけな自我。。。
そういった「矛盾する要素」がせめぎあい、罵り合い、助け合い、補いあう。
人生の「出会い」全てが、自分の中の「本質」を照らしだしてくれていた様に思う今日このごろ。。。。そうやって魂をぶつけ合う熱で「木」が燃えてしまうこともあれば、上手く「石炭化」して、消えない夢という、人生を掛けるものに変質する。。。
そして、それは子供の頃に集めていた「キラキラ」だってことに、今気が付きました。
そんな「土に埋もれていた石炭化した木」が、打ち捨てられた砂漠に、バラバラ担っているさまは、一体どうやって表層に上がってきたの?と聞きたくなりますが、これは鉄砲水でもやってきたのかねえ〜と「冥王星爆弾」を内に抱えているわたしが思うこと。
2012年の6月から2015年3月の間に、7回も形成された「山羊座冥王星」と「牡羊座天王星」のスクエア。長い個性重視の海外生活のあと、再び日本という構造の中に「個性を埋没」させようと、必死で頑張りすぎたストレスが、今までの幻影の人生を爆発させ、感情の波で、洗い流してしまった。後には、ほとんど何もない砂漠と「本質」のみ。
そんな「破壊して革命」ってなスクエア中、天秤座の木星と山羊座の冥王星も、2016年11月25日、2017年3月31日、2017年8月5日という感じで、スクエアをとります。
組織などの構造の改革に山羊座の冥王星が強く関わっているので、大義のために個人が犠牲になったり、逆に抜擢されて能力以上に何かさせてもらえたり、それを受け入れる感じでしょうか? ああグリフィスの夢のために消えた鷹の団員(違うって笑)
わたしはダブルの仕事が依頼MAXがきて、大人気(木星)になってましたが「個性」を活かしてというよりも「画一的」環境なのが残念でした。
天秤座の木星の対向に「個性大事」な牡羊座の天王星が座してますから〜この時に「占い館をやめる」と決めたこと、これで良かったと思います。妥協は出来ない。。。冥王星が絡むときに、ほどほどなんて言葉は出ないです。。。まさに「死と再生」の星。
「革命・改革」の天王星も関わっているわけですから「枠」とか「構造」を象徴する「山羊座」の冥王星が枠を取っ払う。。。そこに「拡大」の星「木星」が関わり、ここで現状を破壊して押し流せば、広大な新しい農地が発生するのかも。ナイルの洪水が豊かな土を運んできたり、地中に埋もれていた「価値あるもの」を表層に浮かばせたり。
「遅い星」は社会の構造改革などに関わり個人では感じられない。。といいますが、ネイタルでその星の影響が強い人「早い星」が近くに来てる時は、そうではないかもしれません。今、天王星に「金星」と「火星」が集まっているせいかグイグイ来てます。
まさしく「前奏曲〜プレリュード」だわ。。。止まらない〜暴走列車♫
牡羊座生まれの占いの師匠のもとに「再弟子入りしよう!」と、いきなり閃いたのも「牡羊座」の「天王星」が囁いたのかもしれないな。。。(*´ω`*)
何も持たずに旅に出る「愚者」のように、ガッツの様に、過去の達成は置いて。。。
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