人生リセット読本

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山羊座14度サビアンシンボル:AN ANCIENT BAS-RELIEF CARVED IN GRANITE REMAINS A WITNESS TO A LONG-FORGOTTEN CULTURE(御影石に刻まれた古代の浮き彫りが長く忘れ去られた文化の証人として残る)山羊座13度まとめ

今日の太陽サビアンは AN ANCIENT BAS-RELIEF CARVED IN GRANITE REMAINS A WITNESS TO A LONG-FORGOTTEN CULTURE(御影石に刻まれた古代の浮き彫りが長く忘れ去られた文化の証人として残る)という度数。。。わたしにとっては個人的にとても思い入れがある度数です。(*´ω`*) 昨日の山羊座13度 A FIRE WORSHIPER MEDITATES ON THE ULTIMATE REALITIES OF EXISTENCE(存在の究極的リアリティを瞑想する火の崇拝者)もまとめて、書きます〜!

昨日は年末年始を海外で過ごした「フェレット君」が「おみやげ渡したいな〜コーヒー飲みたいな〜」というので、天気もいいし、わたしも出かけたいな〜と思って部屋の掃除もソコソコに「銀座」に。なんで、コーヒー飲むのに銀座?って感じですが、二人の住処の真ん中がちょうどそこ。「フェレット君」の新しい事務所も銀座だから?理由でも無ければ自転車圏内で完結して生きてるわたしとしては、世界が広がって楽しい。

 

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基本「銀座」なんて、まったくわたしの標的ではない街ですが、年末年始に母親から「生前贈与(笑)」で貴金属類をもらったので、宇宙のサインに従って、ちゃんとパールのイヤリングに金のブレスレットなんて付けて、いつものユニクロVニットを「綺麗なお姉さん風コスプレ」にバージョンアップしてまいりました。

宇宙って本気で洒落がキツイなあ〜って思ったこの日。。。人生において「司法試験浪人中」の男性二人に好意を持たれるって「偶然」そんなにないと思うんです。しかも、別に弁護士狙いの合コンに行ったワケでもなく、元シェアメイトって出会い方。この日「フェレット君」の語る「人生計画(80歳まで)」を聞きながら「付き合ってくださいもないのに、結婚夢語りモードに入ってる」と冷静に観察してる自分が居ました。

しかし研修制度ってカナダの司法試験のシステムと違った期間があったりと、司法システムの比較話も聞けて、そこが興味津々です。むこうも、私の元パートナーの独立当時の話を興味深そうに聞いてたし。わたしと真逆「寒いの嫌いで海が好き」「犬より猫」という「フェレット君」がなぜわたしに興味津々なのかの謎が「事務所作って、早期リタイアして海外に住みたい〜南仏とかいいなあ」という夢を聞いて分かりました。

「世界のどこでも平気な顔して生きていける(&英語できる)」という変な女だから。

「あ、でもフランスの田舎町だと英語通じないかなあ?」「あ、わたし次フランス語マスターする予定だからいいよ〜」という、軽い軽いウエハース並みな感じで「お互いが人生の伴侶に適切か」的な会話を繰り広げていました。「逃げ恥」の「契約結婚」みたい。わたしが年末スキー場に行った話をしたら「僕もウィンタースポーツした方がいいかなー」というので「いらない。人生分滑りきったし、やったこと無いことする。」と答えたら「じゃあビーチリゾートですね♥」と嬉しそうだった。。。カワ(・∀・)イイ!!

こんな楽しい一日を過ごしたくせに、いやだからこそ、山羊座13度の「火の崇拝者」が瞑想してる「存在の究極のリアリティ」って「根源を思い出させる存在」なのだな、とこの日しみじみ思ったんです。わたしにとっては紛れも無く「オコジョ君」です。。。

神の愛とか、宇宙の神秘とか、生まれる前の約束とか、そんな陳腐で怪しげな言葉や、どこから来たのか分からない奇妙な「感情を超えた感情」をもたらした存在。

「どうして、わたしと同じエネルギーの人が現実にいるの?!」初めて手が触れた時に感じた「ゼロ」としか表現できない「真反対が打ち消し合っている」感覚。でも出会った後、それから「どうすりゃいいの?」ってのが問題だったのです。。。(^m^;)

それに対して「(東京)コンクリートジャングルは稼ぐところ、海外は楽しむところ」という「フェレット君」とだったら「合気道を続けながら、共稼ぎで子育てしつつ、海外旅行に年一は行くカップル」って絵面がリアルに描けるんですが。。。そうやって数十年がすぎ、早期リタイアして老年期(むこうはまだ壮年期だけどさ)になったわたしが南仏で合気道やってる絵面すら目に浮かんだ時、怖すぎる〜!!と思いました(笑)

「現実的な接点」は何もない「オコジョ君」との未来予想図は空想女のわたしも「無理だろ」レベルに感じたし、現実主義者の奴はハナから諦めてたし。それに対し「フェレット君」との未来は冗談みたいに、いい感じにパズルのピースがはまってるし。。。

実家の両親が聞いたら泣いて喜びそうな、妹が聞いても納得しそうな「有難いリアルな話」がむしろ「虚構」か「夫婦ごっこ」(いや、わたしの理想に限りなく近いですよ。。。)に思えるくらいに「訳の分からない世界」を垣間みたこの数年。。。「目に見えない世界」が「究極のリアリティ」となった今「オコジョ君」を一目見たら一瞬で「フェレット君」との楽しい一時なんて「ディズニーランド」なみの夢物語に感じるんだろう、としみじみ感じました。「ほんとにいいの?」と宇宙が聞いてる気がした。

なんか完璧すぎて「あざとい」爆

しかし「写真集」で一目惚れした「オコジョ」が恋しくて、恋しくて「山岳写真家」になった作者に憧れちゃったわたしですが、実際の行動は「ペットショップでオコジョにそっくりのフェレット」を見つけて、こっそり持ち帰るというもの。。。そして「ペット不可」の実家の母も最終的にはデレデレになったほどに我が家のアイドルになった「フェレット」。。いや、本当にカワイイんですよ〜!!!愛してました!!♥♥♥

そう、私の性格ってものすごく「感情・情感」の塊でいながら、それを冷徹に客観視しているんです。「オコジョ君」もそうなんだよなあ〜「魂のカタワレ」なんて首突っ込んだら、現実崩壊するって「直感的」に分かってたからこそ、遠巻きに距離感を保ってきたこの数年。執着が抜けきったタイミングで「フェレット君」との東京デートを楽しんでみたわたしは、同じことをした「オコジョ君」を全く憎めません。(*´ω`*)

魂の相方は離れていても同じように進化している、同じように感じてる、同じことを考えている、行動パターンも、選択することも、表面的には真逆のように見えて根っこのところではそっくりであること。。。これが本当に納得できたのです。

「オコジョ君」が特別だとおもう「勘」は、絶対的信頼感ってやつです。むかし元カレと「オコジョ君」が両方森のなかで怪我をしてて、わたしは一人しか背負って脱出できないなら、どっちを連れて行くか、究極の「脳内選択」をした時があって(馬鹿)答えは「元カレ」でした。人として怪我してる「他人」を救わなきゃだから。罪悪感抱えて生きたくないし、カルマ残したくないし。。。「オコジョ君」なら私のようにゴキブリ並みのサバイバル力があるって自信があるというのもありますが。

未熟なときに二人が出逢った事もあって、他人様と関わり合いながら魂磨きをしなきゃいけなかったこと、自分というものをありのままに受け入れられてない時に、もう一人の自分って一番みたくない存在だってこと、二人共「人間関係」重視で、信頼できる「魂の家族」を拡大したくて「相方」とふたりきりで篭ってチッチャイ世界で生きたくないと思ってるからこそ、あえて別々のパートナーを選んだんだな〜と実感しました。

そのくせ、毎日会えなかったら「死ぬほど辛く」別離の日が来ることを想像しただけで死にそうだった時期が嘘のように「世界の果て」に離されても、絶対またいつか巡り会えると自信が持てるようになりました。これは「魂レベル」の話ですが。

真逆の選択をした「オコジョ君」のリアルな気持ちもよく分かったし「魂の相方」とこの人生で共に生きる計画でなかったとしたら「フェレット君」と違う世界を作ってみる?という宇宙の問いかけが「現実的」に現れてきたことで「頭のなかでガイドさんと話をした(という勘違い)」では片付けられないレベルまで現実に「わたしの世界はわたしの意識がつくっているんだ」と証明できたからです。(*´ω`*)

「Dはお父さんと同類で言葉がわからないのに気が合ってたし、お母さんはDのこと好きじゃなかったけどEはお気に入りだったし、わたしに必要なタイプだって言ってたけど、お父さんとEは絶望的にお互いの理解の範疇を超えてたよ。。。なんかさ二人混ぜて割ったらちょうどいい人なのにね?」と「オコジョ君」をイメージして言ってましたけど「フェレット君」も母が思う「わたしに必要なタイプ」で、父とは日本語でちゃんと酒を酌み交わせるから正に宇宙にオーダーしたとおりだし。(笑)

 

AN ANCIENT BAS-RELIEF CARVED IN GRANITE REMAINS A WITNESS TO A LONG-FORGOTTEN CULTURE(御影石に刻まれた古代の浮き彫りが長く忘れ去られた文化の証人として残る)

 

というのは「魂のカタワレ」みたいな都市伝説?は古代から語り継がれてきたことで、けど出会った人しか分からないもので、自分がどんな世界を作りたいと思ったか?によって「相方」との関係性はユニークで、出逢ってからの感情的・現実的すったもんだは嘘みたいな本当の話で。。。。そんなもの「ネットで読んだり」するもんでもないよなあ〜と思うのは「作り話」みたいにしか自分のケースも思えないからです。(^m^;)

それを人に説明しようとしたり、共感ベースで共有して安心しようとしたり、するからややこしいことになるんだわ〜いいや、自分だけのオリジナルストーリーで。

なんか神秘主義者が終生追求する意識の冒険とは「死を超えて生き続ける、生命の根源的な創造力」にたどり着くこと、なーんて書いてあって、意味が分からんわ〜と自分でも記事を書きながら思ってたけど、ニーチェがいいこと言ってたよ。

 

今のこの人生を、もう一度そっくりそのまま繰り返してもかまわないという生き方をしてみよ。

 

これだよ、これです。(笑)

カッコ悪いことも、人からみて「不器用だよな」とか「馬鹿じゃん」って言われる私の人生のアレコレも、どうでもいいと思われるような経験も、出会った人達も、絶対に他の誰の人生とも取り替えたくないし、めっちゃくちゃ最高の人生だとおもう。

リアルで、人にはそんなこと言わないけどね〜恥ずかしいから。

実家でも「わたしってなんでこんな損でアホな性格なんだろう?って思う−」って妹や母に愚痴ってみせたけど(っていうか、そう言う風に言わないと現実主義者の二人はマジで心配するんだよ)本当は面白いから良いもん♥って思ってるからね。。。

でもそういう生き方をすると、人類がずっと昔から「あるかどうかも分からない地平線」を目指して海に漕ぎ出し「そこに山があるから」と最高峰を目指してきた、その気の遠くなるような歴史に共感することが出来る。。。例えば名所遺跡を見に行ってそこにある「説明書き」を読んで、へえ〜って知識を頭にいれるんじゃなくって、サグラダ・ファミリアをみて、そこに込められた「祈り」を感じること。

 

常にいつも、汝自身であれ。汝自身の教師、彫刻家であれ。 

 

人間にとって必要なことはただひとつ、自分自身に満足するということである。

 

自分の高みに昇るには、自分の足で昇るしか無いし、どこでやめるのか、それは自分で決めればいいし、でも疲れたら休めばいいし、ムリだって思ったら次の人生でチャレンジすればいいし、っていうか誰もわたしの人生なんて特に気にしてないし。(笑)

  

疲れを感じたら、あれこれ考えずに、休むか、寝てしまおう。

 
と、ニーチェも言ってますし。あれこれ考えず自分を楽しく生きようと思います!!!
 
ものごとを完成させるには、才能や技量よりも時間による成熟を信じながら絶えず進んでいくという気質が、決定的な役割を果たす。