どう考えても笑えない話を友達と一緒に笑い飛ばす楽しさ
今日は半年ぶりくらいに会う友達と、3時間シラフでノンストップでお互いの近況報告をして「一ヶ月半くらいほとんど流動食だった」という「精神的ショック時期」の話を、彼女が買ってきてくれた「伊勢丹デパ地下のおつまみ」を綾鷹のお茶で流しこみながらガンガン喋って「復活早くない?」って笑ってもらいました。
わたしに起こったことの顛末を話した所、流石肝っ玉の彼女も目をクルクルさせて驚いていましたが、変に感情的にならないオトコっぽいところのある彼女は、とても冷静で客観的な気付きもくれたので「やっぱり人に話すって大事だ」と思いました。一人で考えてると「知的に、冷静に、理性的に」考えているようで結局堂々巡りだからです。
一人で考え自己憐憫の迷路にはまる
体が痛くても、胸が苦しくても、「思考は止まらない」むしろ他の部分がダメージを受けて、コンディションが悪い時ほど「思考の迷路」に入り込みます。わたしも「思考偏重」なタイプで頭が休まらないので、1番落ちていた時は必要だとか関係なく「作業」に徹しました。時間が経てば気持ちが落ち着くことを経験的にわかっていたからです。
- 掃除をする
- 本の写経をする(パソコンに英文をただ打ち込んでました)
- 本を引きちぎってスキャンする
- 気が済むまで寝る
この段階では「思考を止める」ためだけに「作業」するので、自分が苦にならない雑多な作業を無心にただ、つかれるまでやりました。そして疲れたら寝る。この時期は毎晩のように悪夢にうなされて、夜中飛び起きて一晩中寝れなくなったりしてました。そんな状態では消化も負担すぎて、できないから、液体しか摂取できなかったけど、体の声を尊重して気にしないようにしました。それでも仕事は休まずにやってました。
徐々に体を動かす
心が壊れると、体も壊れるのでしょうか?股関節が再び痛み出した時そう感じました。芋虫のように仕事に行く以外は暗闇で寝転がってたら、絶対「鬱」になるし!とおもって、敢えてジムに入会し、体を動かして汗をかき、アドレナリンが体を駆け巡った時、最初の光が灯ったような気がしました。ただ寝て起きて仕事して、と低充電モードで数週間やりすごしたあと、再び前向きに体と向き合って「生きてる」実感を持つことで「自己憐憫」期間が終了しました。
最初の頃こそ「1日1食モードにするか」なんて言ってましたけど、体を動かし始めたら「食べる」事を体も望むようになり、徐々に消化のよい軽い食べ物から食べるようになって、そうなると人間に戻ってきたなあって感じました。わたしは前から気が向いた時に食べるタイプで三食決まった時間に食べないけど、「全く食べない」期間後に「いきなり食べる」を始めた後は胃がきつかったです。そりゃ、胃だって鈍りますね。
人に会って話をする
よく「出会いが無いです」っていう人は「仕事以外の人と喋らない」人が多いですが、業務上の会話は深い会話では無いので、個人的な人間関係が深まりにくいからです。わたしはシェアハウスに住んでいるので話しも出来たのだけど、悪夢にうなされて居る時期はドロドロの感情しか流れ出なかっただろうから、避けていました。
自分の心との向き合いが大体終わり、体の声を聞くことが出来るようになって、やっと人と会うことが出来ました。その時に「一緒にご飯を食べる」という行為をどれほど幸せに感じたか。やっぱり食事は独りでするもんじゃないな〜美味しいね!って言いながら食べるから、美味しく感じるんだなとシミジミ思いました。そうやって一緒に食べてくれる人がいれば人生は捨てたもんじゃないな、友達って素敵だなって思いました。
人に笑ってもらう、人と笑う
その後からグングン回復して、2週間後に復活宣言してからはブログも書きだしたし、未来への希望も戻ってきました。そうして気がついたら全ての「苦悩」は過去のモノになってました。いまでもあの頃の事を思い出すと胸の奥にチクンと痛みは走りますが、それは「痛みの記憶」であって「本当の痛み」ではないようです。またあの痛みを感じるのではないかという「恐れ」であって、痛みはもう存在してないんです。
だから今日ともだちにあの事件や、その時の感情を詳細に説明してても淡々した口調で、怒りも恨みも悲しみも出てこなかったんですね。「まあ大変だったよね」程度でした。ある意味で「他人に起きた出来事」のように話して、しかも面白おかしく盛り上げて、酒も入ってないのに友だちもウケまくってました。いや〜アホだよねほんと!って自分でも一緒に馬鹿笑いしてたら、本当に吉本のネタになりそうな気がしました。
過去の自分が一部になった
あの頃の自分は自分であって自分でない気がします。時々クライアントさんと話している時に、そういった深淵の暗黒の感情が湧き出してきますが、それは彼女たちにリンクしているだけで、自分の中にはもうその感情は存在してないんです。ただ気持ちがリンクするときに、お腹がチクっと痛くなったり、肩甲骨に重さを感じたりします。ヘタしたら落ち込んでいる人の「文章」を読んだだけで感情が蘇ってきます。
そうすると自分と相手の感情との垣根がわからなくなって様々な思考が渦巻きだしてクリアに考えられなくなる(思考まで相手みたいになっちゃう)ので最近は自分を相手から切り離す作業を意識してやってます。
思考の奴隷になるな
今回自分に起こった事を笑えるまでになったのは、全ての事が「頭、心、体、魂」がバラバラになっていた、滑稽なマリオネット劇場だったからとわかったからです。「頭」が司令塔で、体が蝕まれるまで痛めつけ、それによって心が暗くなり、魂の声が聞こえなくなり、不安と恐怖で思考が暴走して、現実を自分に都合の良い「信念」でごまかそうとしてたんです。全てにリセットがかかって、思考停止したから見えてきたんです。
そしてやっと、頭で全てコントロール出来ると思っていた、浅はかさを笑い飛ばせる様になりました。頭がブツブツ文句をいっても体の声を尊重して、頭が不安がっても魂と話し込み、そうしていたら、心がいつも満ち足りていて、「いいこと探し」しなくても幸せなことに気が付きました。心がクリアであってこそ、自分の全てが統合される、心が落ち着いていれば、運が巡り、能力が引き出される、つまり司令塔は頭じゃなくハートに置くほうが絶対上手くいく!それに気がつけたことに今は感謝です!
笑えば全ては心の糧になる
「笑い」は心のビタミンだから、何もかもが上手くいかない時は「笑い」を探してみるのが多分いちばん効果があると思います。今日また人生が良い方に向った気がするのも、失敗を、愚かさを、迷いを、学びを笑いに変換して人生の滋養にしたからです!おまけに周りの人だってエンターテイメントに巻き込めちゃうし、一石二鳥ですよ〜♫
わたしの「笑いの伝道書」は「聖おにいさん」!イエスにならって、人生V字復活!!!人生どん底でもこのコミックを読めば笑えるかも?!悟れます☆☆☆☆☆
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