蠍座20度サビアンシンボル:A WOMAN DRAWS AWAY TWO DARK CURTAINS CLOSING THE ENTRANCE TO A SACRED PATHWAY(善悪の彼岸を超える:悟り)
今日の太陽サビアンは
「女が聖なる小道の入り口にかかる
2枚の暗色のカーテンを開く」
という蠍座20度のシンボルです。
16度から始まった、自己探求の道の
最期の段階に至りましたね〜!
ヤバそうです。。。ダークサイドに
落ちそうな感じ。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
ってえワケじゃないのです。
しかし閉ざされた世界の入り口と
いうのは、なぜつねに「ダーク」
な感じなのでしょうか?
素直に教えこまされたこと、
一般的なことに従っている方が
安心だから。。ですよね。(*´ω`*)
「開けないほうがいいよ♫」って
ヒントで「暗い扉」なのかも?
「2枚」のカーテンというのは
「2元性」というのを示し、
「男性と女性」「善と悪」
「白と黒」「罪と罰」みたいなこと。
しかしこの順番で並べてみたら、
なんだか「キリスト教」の
「道徳」みたいなコンビ。。。
「肉欲という罪を犯した罰が
出産という贖い」みたいな。。
「アダムをそそのかしたイブ」
みたいな。。。。。
イメージとしては「ラスト」のカード。
伝統的なタロットでは「剛力」という、
女性がライオンを手なづけている
絵柄で描かれているのですが、
トート・タロットでは乗りこなしてます!
裸身の女性が歓喜の極みで、足元に
既存の勢力や、決まりきった考えを
表す「聖人たち」を踏みつけてます。
でも「力」で押さえつける、のではなく
自然にライオンが従う。。。それは
「彼女」の「最奥の聖なる声」が
絶対なる安心感、平安の気持ち、を
彼女に、そしてライオンに感じさせて
いるからだろうと思います。
決して「欲望」から破壊行為を
いたしてるわけじゃーないんです。
むしろ「人類の欲望」からの解放、
によって「本来の才能を開く道」
が現れることを象徴してるのです。
今日のオラクルが、またシンクロでした〜
「LUST」と「ワンドのクイーン」
「ワンドのクイーン」は
”霊的探求によって自分自身を熟知するもの”
自分を知ってるからこそ、他人の潜在欲求を
直感的に知り、救い上げることも出来ます。
そこには「良い・悪い」の「2元論」は無いですね。
ルノルマン・カードの「きつね」「犬」
の間に「道=2つ」が横たわってるのが
象徴的です。「犬」は「誠実」「親愛」など
を表すのに「きつね」は「狡猾」「偽善」
なんかを意味しますから。。。(*´ω`*)
酸いも甘いもしってこそ、
「人を熟知」してるってことなのですね。
「清いだけの聖人」や「正真正銘の悪党」
ってのは、あんまりいない様に。
蠍座20度で出てくる「聖なる道」は
「善悪という2元性を超えた場所」へと渡る道なのです。
例えば「人を殺すことは悪だ」という
宗教的、道徳的ルール。
けれど戦争で「人を殺す」と「英雄」
になるとは、これ如何に?!
子供心に「なんでルールが変わるの?」
と疑問に思っていましたが、
「ああ、強いもん勝ちなんだね」と
幕末史を読んだ時に思いました。
「勝てば官軍負ければ賊軍」ってやつ。
政治って、世界って結局そう
成り立っているんですね。
それぞれの「信念」を主張しあう世界。
「力なき正義は無力で、正義なき力は圧制」
と、パスカルも言っておりました。
「善悪の彼岸」について、こちらのブログに
こう書いてありました。
しかし悲しいことに、どちらの主張も、それが自分たちの《信仰》から生まれていることに気づきませんでした。結局この議論は、論旨とは関係なく声の大きな意見が勝ち残るという、きわめて政治的なゲームとなりました。
学者の間でもこうですから、実際にそれが社会的な議題となったときは、完全に政治ゲームとなります。自分たちとは違う《信仰》をもつ相手を異端として排除し、自分たちの《信仰》を唯一の《真理》だと偽装するパワーゲームです。その《信仰》が正しいから《真理》となったのではありません。その《信仰》がほかの《信仰》を踏み潰す権力を持っていたからこそ、《真理》となるのです。引用:誰が得するんだよこの書評
最近発熱中の「地球温暖化論争」
なんかも、もうそれですよね。
各グループが「それぞれの利害」にしたがって、
世論を分断し、混乱させているこの状況。
わたしは「化石燃料抑止」より
「肉食抑止」のが相対的に
地球環境と、飢餓問題の
両方に効くと思うのですが。。。
オイル燃やしたら「エネルギー」だけど
「牛のおならとゲップ」は温暖化を促進する
(メタンガス)上に、食料になる穀物を与え
生育することは、食糧危機も促進するし。
人間のタンパク源としても、肉は効率が悪いです。
「牛肉メタン税」とか掛けたら、困るよね。(笑)
地球の環境や経済について、
とても悲観的な人達もいるけど
実際のところは「不幸」にも「幸福に」
なるのも、個人個人次第かと。。。
あ、これも「2元論」ですね。
「ポジティブとネガティブ」もです。
たまに、物事をネガティヴに予想することが現実主義だと誤解している人がいますが、違います。 それはただの悲観主義です。 本当に現実を偏りなく見るのであれば、ネガティヴな可能性もポジティブな可能性も平等に見ます。 だから本当の現実主義者は、不安にはなりません。
彼のことを忘れて自分を取り戻すことができていますか? 叶わない恋を続けるのが辛いです。満たされない想いから過食してしまい、どんどん太って醜くなる自分がイヤです。 - 中川龍のブログ
「善悪論争」と同じくらい白熱する
「恋愛」における「男女」の駆け引き、
「恋愛論争」も「2元論」の世界観です。
「恋愛依存と回避依存」とか。。。
でも実際はまったく悩んでいないので、本当にその悩みを解決したいなら絶対にとるわけがないような真逆の行動ばかりをとります。 だから、「嘘の悩み」はいつまでも解決しません。 でも無意識の自分にとっては、それが目的なのです。 そうやっていつまでも「嘘の悩み」に困っている自分を演じていれば、「本当に目を向けるべき困難」から、逃げることができるからです。
彼のことを忘れて自分を取り戻すことができていますか? 叶わない恋を続けるのが辛いです。満たされない想いから過食してしまい、どんどん太って醜くなる自分がイヤです。 - 中川龍のブログ
でもこれも
「自分の問題をあいてに背負ってもらいたい」
という「エネルギー闘争」ですよね。
自分の問題は自分で取り組まないと〜
なんですが、足りないところを相手に
埋めてもらいたいと「乞う」のが「恋う」こと。
でも「恋愛」の「恋」の部分にこそ、
「苦くて甘くて切ない」味が含まれていて、
「男と女の物語」という、押したり引いたりの
2元性があるから、恋愛はオイシイのです。(*´ω`*)
「真実の愛」に到達したら、無味無臭。
喜びも悲しみも、出会いも別れもない世界
ずっと一緒だったね。。。みたいな?
いやー観念的にはそうなんだな、と
感じますし、半分頭突っ込んでるものの
(カーテン恐る恐る開けてみた)
そんな「2元性」がない世界って。。。
ラブストーリーもラブソングもない世界?!
「自分の最奥の声」に耳を傾ける
事ができるようになった女は、
とうとう、恐れとエゴ中心、2元性の対立
という「暗黒」を抜けた「統合した世界」
への秘められた道へ到達しました。
慣れ親しんだ、伝統的な知性を超える
勇気が、ここでは必要とされています。
感覚では「そうだな」って思うので、
いま「未来への不安」ってのが、
ほぼ無いのですが。。そういう自分が
むしろ不安!浮世離れしすぎだ〜ヽ(=´▽`=)ノ
コレが一体どんな状況なのか?
ルミナさんの「覚醒体験」の一部は
わたしのこの半年の体験に重なってます。
(こんなに激しくないですけど。。。)
穏やかでくつろいでいて宇宙とともにありましたが
世の中というものからどこか離れていました。
そばにいた家族とも
とても穏やかな時間を過ごしていましたが
やはり離れていました。
でもね、おだやかでくつろいだ
自我のない世界には他者もいません。(非二元)
心を揺らす他者がいないということ。
そこにいてもいない。
「宇宙=天空」の感覚というのは「悟り」
精神世界を求める人は、そこを目指すのでしょうし
蠍座16度から20度の体験って、正にそこです。
でも「人間」がそこにとどまることに意味はあるのか?
喜怒哀楽の世界で死にたい。
喜怒哀楽を人と分かち合える世界で生きたい。
多分「つまらない」でしょうね。
だれの人生の目的もそこには無い気がします。
「ナウシカ」の「地の果て」の世界みたい。
蠍座21度からは「自分の内的世界での充足」
から、再び戻っていくようです。。闘争の世界へ。
わたしも今日、社長から
「騙し騙しでいいんでブログ書いてくださいねー」
って言われました〜(^m^;)
こっちの世界に戻ってこいやー
ってことですね、多分(笑)
(いや仕事しろってことだ)
どちらでもない中道で社会に働きかけながら
本当の意味で人と出会い、分かち合い生きることが
わたしたちはできる。
これが出来たら本当の意味での
「霊的カウンセラー」になれる気がします。
スピリチュアルを意識しながら、
地に足ついて、現実世界のあれこれと
「スピ」を混同しないこと。
本当の意味での「統合」を目指して。。
女は「聖なる小道」を進んだのかどうか?
「こわ~い!」とカーテンを戻したのか?!
サビアンシンボルって「続き物ストーリー」
にみえて、全然違うんですよね〜
なんか気になる、今日のシンボル。。。
「女が聖なる小道の入り口にかかる
2枚の暗色のカーテンを開く」
でした♫オシマイ!