人生リセット読本

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40代バツイチ、アプリ婚活で婚約しました

蠍座7度サビアンシンボル:DEEP-SEA DIVERS(心の持ち方)

本当は「昨日の」サビア

ですが。。(笑)

「深海潜水夫」という、

蠍座7度のシンボルです。

相変わらず、魚座10度に

鎮座してる「海王星」が

ビンビン効いているので、

この日の朝も「マンガ」を

読みながら「瞑想状態」

に入っていて。。。

読み終わったら

(マンガアプリなので30分で終わるの♥)

友達との約束の為に、

家を出る時間だったwww

 

流石「あっち世界」に

即効入ってしまう私。

子供の頃は「本」の世界に

入りすぎて、耳元で母が

「ご飯だって言ってるでしょ!」

といっても、全く聞こえてなくて、

しょっちゅう怒られていました。

 

最近この「特殊能力」が

再び目覚めつつあります。

こういう風に「読む」と

深く自分の中に「取り込む」

ことができるので、違う場所でフッと

インスピレーションとして

湧き出してくるんですね。(*^_^*)

 

わたしは「思考型」の人間なの

ですが、こういう風にのめり込んで

情報を読み込んでいるときは、

まるで海にもぐる潜水夫が

息を止めて「潜る」ことに

集中するように、

「思考を止め」て登場人物なり

情景なりに文字通り潜っていく

感じなんです。(*´∀`*)

 

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ちなみに「ダイビング」は

わたしがずっとやりたくて、

何故かやらずに来てる、

アクティビティですが、

やったらハマりきって

人生違う方向に行きそうだから

ハイヤーセルフからストップが

掛かっていたのでしょう。(笑)

 

無音の雪山が好きで、

バックカントリースノーボード

や春山登山にのめり込んだ、

それと同じで「静寂」の深海に

きっと深く魅せられてしまった

ことだろうと思います。

 

しかし「人間社会」は真逆で

「雑音」だらけの世界です。

子供の頃から、それに違和感があったのか

人と関わるより、自然の中に居るか

本の世界に入っているのが

大好きでした。(*^_^*)

 

大人になるにつれ「人は独りで生きられない」

ということを痛感し、人間関係を

円滑に進めるために様々に

取り組んできたわけです。

 

しかし思うように自分の考え

を伝えられなかったり、

まったく相手が理解不能だった時、

自分の中に「焦り」「怒り」

「不安」「不満」「悲しみ」

「苛立ち」などなど、

様々な「感情」が湧きだして、

円滑なコミュニケーションが

困難になってしまう。

 

昨日も稽古相手がビジターさんで

わたしは先生の見せてくださるやり方

で稽古したいのに、その方はご自分の

やり方に自負があるのか、全く先生の

やり方を無視して、自分なりの解釈で

やろうとなさってました。(^m^;)

 

わたしの「信念」としては、

つねに自分の稽古をすることは大切だけれど、

 ある先生の時間においては、

やはり先生の教えてくださるやり方を

なるべく吸収しようとする方が

ワザワザその場に来た甲斐が

あると思うのです。

 

自分のやり方を貫きたいなら、

自分のやり方を普段やっている道場で

稽古していれば良い、そう思うのです。

とくに「ビジター」で来ているなら、

謙虚さは大切で「郷に入れば郷に従え」

だと感じるのですが。。。

 

しかし、自分より年配の男性で

わたしのことを「小娘」のように

思って「そのやり方は違う」と

会ったばかりのわたしに稽古を付けよう

とする男性に「反発心」を持って

自分の「信念」で反論したり、

逆に言いなりになることは

稽古が成立しなくなる恐れすらあります。

 

一期一会で出逢った人と、その場での

ベストの「稽古時間」を持てるように

自分の心を見つめることも

自分自身の稽古だと思うから。

 

自分の中に「苛立ち」と「嫌悪感」が

湧き上がるのを静かに感じつつ、

わたしが取った道は「彼の技に身を任す」

でした。(*^_^*)

 

そう、技が効いてるなら私の身体は

自然に動きます。でも効いてなかったら、

わたしの身体は動きません。

ないしは、彼が必死で力を込めても

ギコチナイ反応しかしないわけです。

 

会話もそうだと思います。

 

人によっては自分のことだけ

しゃべり続けたい人や、

人の話を全く聞かず、

聞いている間に「次に自分が何を言おうか」

ばかり考えてるのじゃないかなあ?

と感じる方も居ますが、

その場合はこちらの「反応」が発生しない、

それだけに留めておけば良い、

そういうことだと思います。

 

その時に自分自身の感情に

呑まれてしまうと、自分と違う考え

自分と違う感じ方、価値観の相手を

「動かそう」「説得しよう」

「感銘させよう」「服従させよう」

といった自分のエゴに自分が

振り回されてしまうだけです。

 

それはとても「疲れ」ます。(^m^;)

 

エネルギーが「循環」ではなく、

「奪い合い」になってしまう。

 

「よい稽古」と「よい会話」は

どちらもとても「心地が良い」ので

自然と笑顔が湧いてきます。

 

自分が技を掛けている時、

相手の技を受けている時、

自分が発言している時、

相手の発言を聞いている時、

 

相手の反応を、そして自分の反応を

楽しんで、感じる、

繋がっている感覚があるんです。

 

この日のお友達との会話も

そうでした。

彼女が最近お話をした

犬仲間さんにかけた「言葉」は

わたし自身の「フェレット」とのキオク

にダイレクトに結びついて、

パスタ食べながら、勝手に涙と鼻水

が出てきたし、

 

彼女自身の「慢性疼痛」との

つらい日々の話を聞いていた時は

父親の「慢性掻痒」との現在の状態

に重なり、わたしは頭では

わかっているつもりだっただけで

まったく理解していなかったと解りました。

 

父の行動に苛立ちと焦りを感じて、

叱ってしまった、そのこと自体が実は

わたしの元パートナーとの

やりとりの「トラウマ由来」だったんだ

ということが、ストンと腑に落ちました。

 

なんという「トラウマセラピー」

でしょうか(笑)

決して彼女はそれ自体が目的で

話してるわけではなく、

パスタとケーキを頬張りながら

彼女の近況報告として、

お友達の話や自身の母親や

パートナーの話をしてるだけ。。。

 

しかし最終的には母親からの支配

があった理解まで到達し、

インナーチャイルドセラピー」

セッションになっておりました。(笑)

 

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口実としては「栗祭り終わるよ!」

ということで2人の定番コース

「ハーブス」の「和栗タルト」

を食べに行くという会。

 

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元々彼女が「ツインソウル」

ブログを書いていて、

わたしが「一読者」で、

それから彼女のお店の

商品を買ったり、という経緯で

時々お茶をするように

なったのですが、

近頃はわたしのカタワレ君

の話は全然しなくなりました。

 

自分の中では不思議に

すべてが起こるべくして起きてる、

すべてが自然な流れで整ってきている、

そう思えるので、状況や設定が

全然「違う」彼女にわたしの

「実感」を説明する必要も

感じないし、向こうも困惑する

だろうなあと思うので。(*^_^*)

 

年齢も、人生も

才能も、性格も何もかも違う

個人がすべてを「共感」しようとするのは

ちょっと不自然ですもんね。

  

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でも選んだケーキはやっぱり一緒(笑)

ちょうど3時近くで、

どんどん搬入してきてて、

いろんなケーキをドアップで

撮影出来ちゃった♥ラッキー!

 

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こっちの「マロンケーキ」

も美味しそうだったけどね〜

でも次回の「お茶会?」は

きっと「ド定番」の

「ミルクレープ」を食べるんだな♫

 

別れ際に「なんでね今も大好きなのか分からない」

と全く交流がない「カタワレくん」に

ついて言及したところ、

「うんカッコいいもんね」

とだけ答えた友達。

「えー!かっこいい人なら他にもっといるよ」

と笑って返した私。

 

ただそれだけ。(^O^)

 

前度数の「ゴールドラッシュ」

では大勢の人々がその時の

時流にのって「今までの価値観と違う何か」

を求めて動き出す状況でした。

 

この度数「深海の潜水夫」との

違いは「集合(社会)的行為」か

「個人行為」であるか。

 

昨今の「ツインソウルブーム」

「武道ブーム」にしても、

それを「追求する仲間」がいる、

それは時に心強くあるかもしれないけど、

結局「クエスト」はある段階で

自分の深層心理に独り潜っていきます。

とはいえ、それは人類の共通意識

にも根底で繋がっているのです。

 

それはとても「個人的経験」で

一般的な社会的価値とは何の関係もないもの。

「真の理解」Under-standing は

日々の生活の波の下(Under )に潜んでいて

その中に深く潜っていく行為は

日常生活、日常の価値観、世界観から

切り離されて、戻れない危険性も

秘めている。。。わけですね。

 

どっぷりはまり込まなければ、

「真の理解」には到達できず、

しかしそれは命をかけた危険行為

だったりするわけです。

 

お友達も「すべてを捨ててツインを選んだ」

が故に、七転八倒の苦しみと

深い悲しみに首まで浸かって

心身ともにボロボロだった時期。。。

があったので。。。(*´ω`*)

こうやってノンビリ定期的に

お茶が出来るまでに生活と身体が

整って来たことが凄く嬉しいです。

 

そして彼女の「人生をかけた」

勇気ある行為によって、

励まされているワタシ

が居るんです。(*´ω`*)

 

深海も潜れば潜るほど、

孤独と静寂の世界、

そして一歩間違えば死の淵。

自らの心の魔窟に入り込んだら

二度と浮上できなくなる。

 

「精神世界」も本物は怖いです。

人間の心ほど闇を抱えていて、

怖いものはないんです。

 

わたしもその闇を抱えていて

それを深く見つめなければ、

光の世界や天上の世界に

浮上することは

出来ないわけで。(^O^)

 

独り「自分の山」に登る、

その行為とセットになるような

「自分の深層心理の海に潜る」

そんな情景を表した、

「深海潜水夫」

ブログ書いてる行為も

「瞑想作業」に近いので、

タイマーかけて置かないと、

うっかり出勤時刻になりそうです(笑)