読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ヒビコレ!

答えは自分の中にある〜人生という名の冒険をエンジョイ!

「グランド・イリュージョン」:”近づきすぎると見えない” 宇宙の計画

突然ですが、最近やっと

クリシュナムルティ

教え?っつーか指し示すものに

興味が出てきたところです。

そのうち、本とか読んじゃいそうです。

 

実は最近みた映画が極普通の

「ハリウッドエンターテイメント」

の映画だったのに「宇宙の真理ってこうかも」

ってふっと、思ったから急に

「そっち系」哲学に興味が出てきた〜

みたいです。(*´ω`*)

 

この映画を見るとよく解るのが、

「一つ一つの現象にとらわれ過ぎると

大きな意図に気がつかない」

ということです。

 

この一つ一つの現象というのを、

「特定の人」

「特定の出来事」

「特定の目的」

「特定の行動」

「特定の場所」

うんぬん。。。わたしたちの

アイデンティティとこだわり

を保っているこの世の全て

で置き換えてみると、

わかるのですが。。。

 

その「特定」に導かれたのは

偶然でもあり、必然でもあり、

何かの意図であり、自由意志でもある。

 

と思っていたのですが、

この映画を見たあとに感じたのは

実はわたしが「自由意志」で

選んでいると思っている出来事は

何か大いなる意図のもとに

計画されていて、ひとつの流れに

なっているのではないかなと。

 

映画の中で主人公達が

グランド・イリュージョン」の

計画通りに動いていくこと「決めた」とき

最初は「自分の欲」を

それぞれ満たしたく、

(名誉欲やモテたい欲、愛して欲しい欲)

バラバラの「自由意志」で

参加した彼らが、思っている以上の

「成功」を手にした時、

本当の「ストーリー」が始まったように。

 

わたしたちそれぞれが

この世で「欲しい」「手に入れたい」

と思ってるものは

「馬に人参」みたいな餌に過ぎず、

その過程で「わかった!」と

思うことは「自我」での「未知を理解した」

と思っている幻想にすぎず、

わたしたちは一人ひとりが

もっと「大いなる意志」のもと

バラバラにみえて、同じ方向に

動いている「ひとつ」なんだな〜

なんて「空想」をして楽しんでました。

 

例えば「占星術」でネイタルのチャートを導いて、

自分の人生が浮かび上がった時、感動しましたし、

複数の占いでわたしの「運命」

について、同様な記述が見られた時に

「そんなことってある?」って思いました。

 

もしわたしが「不運」と言われる運勢の

持ち主だったり、複数の占いで矛盾した

ことを書かれていたら「????」と

なって「占いを信じない」という

可能性が高かったと思うのです。

 

そうしたら「占いに興味を持つ」という

運命に導かれるように「詳細設定」が

されていた?コレも仕込み?

と唸ってしまったわけです。

 

一つ一つの現象よりも大いなる流れ

を見つけ出すほうが、宇宙の意図と自我が

寄り添っている状態に近づけると「わかって」

るんですが、これって人生の長い時間が必要で。

「研究」と一緒で「仮定+実験+検証」の

繰り返しなんですよね。

 

「早く真理に到達したい」「答えが知りたい」

思考型タイプのわたしには凄く苦手です。

そうして、答えがわからないと、

「不安」になり「恐怖を覚え」「混乱」する

感情型タイプでもあるので、

自我を手放し「本当の自分=真我」

になるというのは、出来たと思っても

中々出来てないことがようやくわかって

来ました。。。。

 

むしろ手放そうって思うと、

余計にしがみつきたくなるので

「ああ、そこに”感情”くんが居るなあ。。。」

くらいのスタンスのほうが

良さそうな気がします。

 

映画の中の主人公達が

「魔術が存在するかしないか、

わからない、存在なんかしなくて

俺達が牢屋にぶち込まれることに

なるかもしれない。。。でも最期までやりぬこう!」

と言っていたみたいに。(*´ω`*)

 

わたしが感覚的に「ある」と

思っていること

「こうなんじゃないかな?」と

感じていることがわたしの「妄想&幻想」

に過ぎないかもしれない。。。

 

でも「ワクワクするこの危険な状態」

嫌いじゃない。

怖くてしかたがないけれど、

「ああ怖いよね、そりゃそうだよね」

って自分を軽くいなしながら、

もう少し遠くまで進んでみよう。

 

奇跡は信じるから起こる。

それが「魔法」で「マジック」。

 

 


グランド・イリュージョン (字幕版)