人生リセット読本

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40代バツイチ、アプリ婚活で婚約しました

本気で死にたいと思ってから、始めて生きられるようになるのかもしれない

ここ数日で、色んな意味で変わってきたようです。昨日何時ぶりか、思い出せない久しぶりに「料理」したんです。レシピサイトで検索して、「担々麺」作りました。あ、量とか適当ですが〜(いつもそうだな)「何かを作ろうと、考えて、そのために材料を買って、創る」というプロセスを昨日はじめて、やりました。

「生きること、生活すること、そのために考えたり、行動をすること」

これを、ちゃんとやろうと思ったんです。そんなこと当たり前でしょう?って、毎日自炊してる人は思うかもしれません。。。わたしは「外食」嫌いなので、昔から人と会う以外の理由で、外で食べることはほとんどなく、どんなに疲れていても簡単なものはつくるタイプでした。そんなわたしが、食べることすら体が拒否する数週間のあと、どうやって料理していたのか忘れてしまったんです。

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極端〜極端は中道へと彷徨う途上

食べられなくなった次いでに「不食」の実験でもするかな?なんて、言っておりましたが、ある意味「たべること」「つくること」が、性格も価値観もバラバラなうちの家族の唯一の「憩いの時」だったので、「食卓」というものにこだわりがありました。

「おいしいね!」と言いながら、会話をすることが、家族の絆と気持ちの交流を支えていた家庭に育ったわたしには「食べない」「料理しない」というのは、人類の将来の理想形態ではあるけど、わたしはまだ「過程の人だ」と思うようになりました。  

飽食も不自然だけど、不食も極端だ、わたしはその「中道」を探そう。。。そんな風に感じるようになった、これはわたしの「復活」の兆しだったかもしれません。(*´∀`*)

どん底から自分に必要な物だけ持ち出す

ネットという世界では、「あらゆる世界観」があって、近い考え方の人たちが集まって、話している内に「ある側面の見方」が、すごいスピードで、純化されていく傾向があるのは、現実世界から隔絶された空間だから。。なのか。。。自分自身で体験してみて、そう感じたこの半年でした。

結果、現実的な意味で衝撃の「反発」が起こり、その「世界観」から弾き出され、恥ずかしさに、死んでしまいたいと思っていた一ヶ月ほどの間は「食べたくない、生きていたくない、自分を消してしまいたい」ただ、それだけが頭をよぎっていました。いけないことだとは思いつつ何度も脳内でリストカットしてました。(怖)

その間、周りにはゴキゲンな口調?で「ヨーロッパ旅行」に行くとか言ってるのですから、人間の存在ってなんだろうと思います。。。自分でも。しかし、それすらも「カラ元気」で壊れそうになる自分、バラバラに弾けそうな自分を支えようと、必死だったのだと今は理解できます。

今では、その頃の自暴自棄なわたしが理解不能なのですが、逆に今の私はむしろ中学生くらいの頃の自分に一番近いことに最近気が付きました。

病んでいる状態でヒーリング?!

いままで「うつ病」になったことも、自殺を考えたことも、看護学校の先生にカウンセリングをススメられた事もあった「苦悩の時期」があった中で、今回の「消えたい」期間が「自分史上最悪」でした。

社会的責任(仕事)を果たすために、仮面を被り、「彼氏が出来ないわたしは結婚できますか?(20歳)」という質問から「ダブル不倫してるんですけど、彼に振られました」まで、お悩み相談に乗りつつ、自分の状況で人様のご相談なんかしてていいのか?(でも出社拒否するわけにもいかない)そう思っていた矢先のことでした。

看護学校時代に、落ちた時は「患者さん殺しそうだから休学したい」と先生に相談して、止められたのですが、その時は自分より患者さんの方が「重病」だから、できたんですよね。生死の境の人たちと比べたら、わたしの「別離」なんて大したことじゃないって、思えたから逆に苦しい事情の人たちの為に頑張れたんです。

その時より深刻な状態だった今回のわたしはこの人達の誰よりも「重病」なんじゃ?と、恐怖に感じていたこの2ヶ月くらい、実際「クレーム」が数回あったそうです。「マイペース過ぎる」「寄り添ってもらえなかった」って!!!自分の状況の方がヤバイ状態で、ごめんなさい。。。突っ走ってたんですね。素が出てました。(泣)

自分自身の弱さを認める→癒やし

本気で死にたいわ!と思っていた状態から復活したら「もういいよ、生きてるだけでいいよ、息してればいいよ、仕事してるなんて偉いよ!!」と、自分で自分にオッケーを出せるようになり。。スーパーで材料買って料理した自分に感動し、体がボロボロになるまで、稽古を頑張って来たことも自分で認めて、許せたので、体を休めていい!と思るようになって、整体に通っています。

この年で、貯金もなく、家族もなく、家もなく、シェアハウスに住み、お金にならない「趣味というにはクレイジー」なことだけが、”重要事項”で、他に何の欲もなく、ものも持たず、看護師という職業すら「ほんとうはやりたくなかった」ということに、気がついてしまった今、どうやって今後生きていくのか、わからなくなり。。。そんな時に出会ったのが坂爪さんの、この記事でした。

感覚的な話になるけれど、いまの私には「ストック【貯蓄】はないけれど、フロー【流動】はある」ように感じている。言い換えるならば、ストックによっては生きることができない(自分の力だけでは到底生きていくことができない)私も、フローによって生かされている(様々なひとの力によって生かされている)という感覚を、強く覚えている。 これは決して自慢をしたい訳ではなくて、自分でも、自分に起きている現象が何なのかということはまるでわかっていない。ただ、感覚として「ストックはないけれど、フローはある」ということを感じていて、この流れは、自分の純度が落ちた瞬間から、自分が調子に乗った瞬間から、自分が何かしらを溜め込もうとした瞬間から、途絶えてしまうものだと感じている。

ストックはないけれど、フローはある。 - いばや通信

 この記事を読んだ後、「なんで占い師になっちゃったんだろう、わたしがやってていいのかな?人の相談なんて、のれるようなヤツなのかな?そもそも、ちゃんと出来てるのかな?」と、ずーっと怖かったけど、これだって何か意味があるんだろうな、たぶん「フロー」なんだろう、抵抗しなくてもいいのかもしれない。。。そう「受け入れ」て見ようかと思いました。

世界を信じれば自分を信じられる

不思議なことに「魂の片割れ」と思える人を必死で追いかけて、決して離れまいとしていたときは、まるでそれを思わすような「運命的な出会い」をしてる人に次々とあってたのに、現実で反発があって「離され」自分を疑いだした頃には、そういう相談がなくなり、「やっぱり思い過ごしだったかな」と思い始めていました。

でも、やっぱり人がどう言おうと、人にどう思われようと、相手にどう思われているように見えようと、自分のなかの「好き」は全く純度が変わらない。。。好きなら好きでいいや!と思えるようになった矢先に、また「世間的には変わった組み合わせだけど、不思議にひかれ合う二人」のお話が増えました。

心配を投影するか、信頼を投影するか。自分を開けば世界も開き、自分を閉じれば世界も閉じる。きっと、この世の中は、自分が投げたものがそのまま返ってくるようにできているのだと思う。相手を傷つける言葉を使えば、自分のこころも同じように傷つけている。相手を疑えば、自分も疑われ、相手を信じれば、自分も信じられる。月並みな言葉になるけれど、事実、その通りなのだと思う。

ストックはないけれど、フローはある。 - いばや通信

半年前に「わたしが疑いの言葉をぶつけた」ことから、始まったこの一連の事件。。。自分の「高次の感覚」を「低次の自我」が疑い、反逆したこと。。。自分がバラバラになっていく過程で起こったんだな、と感じました。

 自分全てを統合すること=生きる

自分がバラバラになっていく気がしたのは、高次の感覚についていこうとした「思考」が、「体の」「心の」声を無視して、暴走していた。。コントロール出来ると、おごっていたから、統合とは全く真逆の方向に走っていたから。。という気がしました。半年前にわたしを襲った股関節の激痛が、5月に再発したのは、「偶然」じゃない、これは「体と心」が「思考の暴政」に反発してるんだ!とこの記事を読んで感じました。

普段の私は色んな事を器用にこなし仕事もできるし自分が出来る人間であるという事にかなりの高いプライドを持っていて人に助けを求める事は非常に惨めだと考えていました。でも身体様が機能しない今、自分の自意識より大切にしなければならないのは身体様、身体様が動きたくないと仰る以上、ボスは身体様、身体様の欲求に従う術は無いのです。

【KIJ-ロンドン】「他人に迷惑をかけてはいけない」という嘘。 - いばや通信

「人に迷惑をかけてはいけません」という教えを頑なに信じることは人から貰うことを潔しとしない自意識の壁を創りだすことなのかも知れないですね。わたしなんて、人に迷惑かけまくって生きてますけど。。。そんな自分を好きでは無かったのも事実です。

意識ではなく身体がボスだ、そして「全てを受け取る事を自分に許しなさい」と教えられるために身体が仕掛けた病気としか思えない。そして、与える事を惜しまない、受け取る事を惜しまない、芯からオープンになったときに物凄い歓喜を感じた気がします。「私は全てに許されている」という安心感。

【KIJ-ロンドン】「他人に迷惑をかけてはいけない」という嘘。 - いばや通信

 今回、色んな人に「否定され」「拒否され」「切られ」「受け入れられず」ということが起こったのも、「自分の体や心の叫び」の投影。。。(・_・;)

言われた時は落ち込み、嘆き、そして反動で「こんなに悲しいわたしをグーで殴るなんて、非道い!」と憤ったものでしたが。。。世界がわたしを拒否してるんじゃない、自分が世界を閉めだしていたんだ!と、気がつけた時「目からウロコ」でした。

自分を消してしまいたい。。。そう感じるのは楽なことでは無かったけれど、そこまで自分を追い込んでしまった、自意識のコントロールを手放して、ありのままの「不完全で、みっともなくて、情けなくて、惨めで、卑小で、愚かな自分」の存在を許してくれてる、家族に、世間に、宇宙に、神様に気がつけた事が有難いと思いました。

今回の「リセット」後の自分は「子供の頃の自分の魂」と「大人としての自分の経験」を統合した、「新しくて懐かしい自分」のようです。そんな自分と素直に生きていったら、何が起こってくるのか楽しみに日々を過ごそうと、今は思っています。